不死身かと思われていた杉浦敏介氏が亡くなった。94歳であった。昨年11月に無くなった中山素平氏に5歳足らなかった。
氏は1952年に日本勧業銀行から、新たに設立された長期金融の専門銀行に転じ、1958年には若くして取締役となり、以後頭取、会長、相談役と30年余の長きに渡って君臨した。
勧銀から転じた理由については、勧銀内部の権力闘争の結果か、それとも自発的なものであったかは定かではないが、いずれにせよ、戦後の復興を担う目的で作られたばかりの銀行に『志』を持って入行したに違いない。
その世代としてはがっちりとした体躯と、歌舞伎役者か銀幕のスターを思わせる端正な顔立ちは、これぞバンカーという雰囲気を漂わせていた。
高度成長時代が終わり、興銀と共にその銀行の使命が終わったかに見えた時、流通業やリース業など、新たに勃興した産業へ資金供給先のシフトを行い、中興の祖となった。彼なくしてはその時点でその銀行は消えていただろう。
専制君主ではあったが、役職員からは『敏(びん)ちゃん』と親しみを込めて呼ばれていた。シンガポール共和国におけるリー・クアンユー顧問相の様な存在といったら誰かに叱られるだろうか。
ただ晩節は院政を敷いたなどと批判を浴びた。イ、アイ、イへの傾倒も彼の意向が原因となったとも言われている。
四半世紀長く生きすぎたのかもしれない。もしも70歳で亡くなっていれば、昭和の名経営者として名を残したのは間違いない。晩年への批判ばかりが目に付くが、棺を覆った後、氏の再評価をどなたかに期待したい。








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