電車の車内で向かいの座席に座った乗客達が、宮中に参内したお公家さんが杓(しゃく)を持つ様に、一斉に胸の前でケータイを構える姿は、今では何ら奇異なものではなくなった。
道を歩きながらケータイでメールを読むのも普通の事である。かくいう私も歩きながらウェブをブラウジングしたり、メールを読んでいる。アメリカではどうなんだろう。観察したことがないのでわからない。
8月19日付の『HOTWIRED日本語版』に「『日本ケータイ文化論』米国で出版」というタイトルで、日本人の研究者達が英語で書いたこの本のことが紹介されていた。
| Personal, Portable, Pedestrian : Mobile Phones in Japanese Life | |
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本を読んでいないので詳しくはわからないが、記事によれば、この本には「薪を背負って歩きながら本を読む二宮尊徳が、現代の『ながら』移動の先駆者だ」との記述があるらしい。
ちょっと話が飛躍しすぎているような気もするが、その考え方からすると、何か別のことをしながら、知識を習得しようとする二宮尊徳スタイルは、ほめられこそすれ、叱られるものではなく、日本人にとっては模範的なスタイルということになる。
二宮尊徳は、戦前は勤勉の象徴として修身教育に取り上げられ、全国の尋常小学校、高等小学校に薪を背負って歩きながら本を読んでいる像が建てられた。そう言えば、私が通っていた神戸の小学校にもあったのを思い出した。震災後もまだあるのだろうか。
ところで、二宮尊徳の名前は知られているが、一体何をした人なのだろう。私も知らなかったので調べてみた。Wikipediaによると、次の様に書いてある。
相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山)に生まれる。14歳で父利右衛門が死去、2年後には母よしも亡くなり、尊徳は伯父二宮万兵衛の家に預けられた。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功する。
その才を買われ旗本領の仕法を担当し、立て直しに尽力。功あって下野国桜町(現在の栃木県芳賀郡二宮町周辺)の仕法を任せられる。後に東郷陣屋(栃木県真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い成果を上げる。その方法は尊徳仕法として他の範となる。その後、日光山領の仕法を行う。栃木県今市市にて没。ここで書かれている『仕法』という言葉が解りづらいのだが、今風に言うと、行政改革により財政再建を行なうことと考えれば良いのかもしれない。
二宮尊徳は、その力を買われて色々な領地に招かれてその腕を振るった。さしずめ経済財政担当大臣か。そんなことを考えていたら、頭の中に竹中平蔵氏が、薪を背負って本を読みながら歩いている姿が浮かんできた。









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