| いつもと同じ春 | |
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ある日、下りのエレベーターに乗っていると、52階で扉が開き、一人の男性が乗ってきた。その途端エレベーターの中にいた各社の社員が、すっと壁際に張り付いたのを覚えている。その男が西武流通グループを率いる堤清二氏(辻井喬)であった。
赤ん坊がそのまま大人になった様な顔をした彼は、少しはにかみながら、くるっと体を半回転させ、扉の前に立った。その後ろ姿は、大きな企業グループのトップとしては、何とも寂しげに見えた。1階フロアで降りるまで、社員達は押し黙ったままだった。果たしてその時の彼は、堤清二氏だったのだろうか、それとも辻井喬であったのだろうか。
彼の小説は、私小説の形をとるものが多く、この本の前に読んだ彼の『彷徨の季節の中で』とこの本は、登場人物の名前こそ違えども、読者としては連続した小説として捉えざるを得ない。また作者もそれを読者に要求しているようでもある。
どこまでが事実で、どこからがフィクションかということは、彼の私生活に関する部分では、それ程重要な事ではないのかもしれない。ただ主人公の順三が、百貨店の社長というビジネスマンになりきることへの疑問について、あからさまに心情を吐露するくだりを小説の中に見る時、幾ら小説での話といえども、周りの人間は複雑な思いを持ったのではないだろうか。
はじめに戻るが、流通グループ各社と、私の属する会社のグループ各社で、毎年『社長会』なるものを開いていた。私の会社の重役達も、『小説家や音楽家等になりそこねた』との思いを持つ人が多く、(実際執筆業との二股を掛けている役員も複数いたが)、堤清二氏のそばに駆け寄り、喜々として談笑していた姿を思い出す。
堤義明氏の率いる鉄道グループよりも、流通グループをより重視し、『清二氏の喜ぶことなら、何だってやる』という我々のスタンスは、結局、海外のホテルやリゾート開発を初めとする『夢造りの神輿』を一緒に担ぐこととなり、共に破綻への道へと進んだのだ。
この小説の中で、主人公の順三が、妹の久美子(堤邦子)の自著出版に際して、本名で発表するかどうか言い合いになった時、「日常の自分とは違う自分をはっきりさせるためには、ペンネームの方がいいと思う」と述べたとのくだりがある。
思えば、長男の清、清二、義明、康弘、猶二、そして邦子も、皆生まれた時は、堤姓ではなかった。歌舞伎の役者や、落語家のごとく、堤という名前をもらい、その役割を演じる事を堤康次郎に強要されたのだ。長男の清はそれに従わず、破門(廃嫡)された。堤清二氏が辻井喬というペンネームを持ったのも、本当の自分の為の『本名』を持ちたかったからではないだろうか。









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