2005年9月アーカイブ


仕事柄、朝から晩まで英語のEメールを読み書きしているが、今一つ自分の書くEメールに自信が持てなかった。一度基礎から勉強し直してみたいと思っていたところ、今年の5月から、アルクが『ビジネスEメール速習パック ライティングエイド』という通信講座を始めたということを知り、7月から3ヶ月間履修してみた。

1レッスンが二日分で、一ヶ月(8レッスン)毎に通信添削があり、三ヶ月(24レッスン)で終了する。テキスト3冊とEメールライティング・ハンドブック、そしてWindows用のEメール作成支援ソフトが送られてくる。

書店に行けば『ビジネスEメールの書き方』などという本も売っているが、本を横に置いているだけでは、中々身に付かない。それに例文のバリエーションが少ないので、いつも同じ文章を写すことになり何とも格好が悪い。

その点この講座は、まずは一日目に基本パターンを押さえた後、二日目はその応用や、言い換えの文章を練習することになっており、大変役に立った。

日本人が陥りやすい間違いについても、ちゃんと説明がある。例文も新しく、実務に即したものが使われており、毎日の仕事でもさっそく使える物が多かった。

ハンドブックには、Eメールのマナーやテクニック、ニュアンスや定形表現などに関する、役立つ情報が沢山盛り込まれている。

Eメール作成支援ソフトは、よく使われる文章、文、ワードを、英語、日本語で探し出すことができる。またEメールで頻出する動詞・副詞について、統計上、どの言葉と一緒に用いられることが多いのかなどを教えてくれるので便利だ。

英文Eメールには『お決まりのスタイル』があるにもかかわらず、きちんと勉強せずにOJTで済ませていると、マンネリに陥り、上達が頭打ちになる様に思う。

勤め先によっては特定の通信講座の履修に奨励金を出してくれることもある。ご自分の勤め先でこの新しい講座が対象先になっていないか、一度確認されることをお勧めする。

先日かんべえ氏の著書『1985年』をご紹介したが、昨日氏のHPの『不規則発言』というところに、ご友人から送られてきた、Apple Computer社CEOのスティーブ・ジョブズ氏が、スタンフォード大学の卒業式で行った祝賀スピーチの訳文が掲載されていた。

とても強い感銘を受けたので、かんべえ氏にお願いして、ここに全文転載させて頂くことのお許しを得た。少し長いが、是非一度読んで頂ければと思う。


Apple社CEOスティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の2005年6月12日の卒業式で行った、祝賀スピーチを転送します。

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ジョブズの卒業祝賀スピーチ
2005年6月12日、スタンフォード大学
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404 

 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。


 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。


 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。


 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。


 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、 あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。


 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。


 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。


 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。


 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。


 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。


 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。


 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。


 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。


The Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios


私もApple ComputerのEvangelist(伝道者)を20年以上やっているが、ジョブズの複雑な生い立ちについては今まで知らなかった。昨年ジョブズが膵臓ガンを患ったと聞いた時、「実はかなり深刻なのではないか。」と心配したが、実際色々な動きがあったことがわかった。

ともかく、好きなことを追求し、それを極めることができたジョブズは、世界一の幸せ者だろう。私は大学卒業の頃ASCII誌等を愛読していながら、今一歩そちらの世界に踏み入る勇気がなかったことを残念に思う。

このスピーチを聴いて、Apple教(Jobs教)の福音書の様に感じた方もおられるだろう。それを私は否定しない。宗教っていうのは、意外とこういう所が原点なのかもしれないと思うのである。

昨日WILLCOMの新しい音声端末が、一気に四機種も発表され、ネット上では夜遅くまで『祭り』の状態が続いた。ユーザーにとっては一度に複数台もの選択肢を与えられるなんて、何年振りのことだろう。昨日27日のケータイWatchのニュースもWILLCOM一色だった。

発表された端末は、携帯ユーザーの目から見ると、一年程前のスペックに見えるかもしれないが、WILLCOMの料金体系を考えると、その利用価値は携帯を凌ぐものがある。一月数千円で音声通信に加えてケータイでのウェブブラウジングやメールが使い放題になるのだから。一月一万円程払えば、PCに繋いで幾らでもネットを利用することもできる。

スタンダードモデルのWX300Kは別として、京セラのWX310K、三洋のWX310SA、日本無線のWX310Jは、それぞれ個性的な端末である。

デザイン的には日本無線のWX310JがPDAライクで心を動かされるところもあるのだが、業務用ということでWX310Jにはカメラがついていない。本格的な撮影にはデジカメを使うが、moblogの様に、ちょっとしたスナップを撮りたいこともあるので、カメラはやはり欲しい。

ゲームなんて興味が無いので、Javaが搭載されるという三洋のWX310SAには食指が動かない。

やはりBluetoothが搭載されている点や、Operaが載り、メーカーから音楽プレーヤーや動画の録再アプリが提供されるなど拡張性があること、搭載されているメモリーが大きいこと、そしてきれいなスケーラブルフォントを採用していることなどから、京セラのWX310Kへの期待度が高い。

それに今回の310シリーズは、皆Mac OSXに対応しているところがこれまた有り難い。

お子ちゃまはDoCoMoやauを使い続けて下さい。目的意識のあるユーザーは、是非WILLCOMをどうぞ。都内の地下鉄ではauが繋がらない駅があるが、WILLCOMならどこの駅でも通信可能だ。

◎13:30 ウィルコム、WILLCOMの新しい音声端末を発表、八剱洋一郎社長らが出席(帝国ホテル)
ブルームバーグ・ニュースによれば、ついに今日ウィルコムが、AIREDGEの新しい音声端末の販売を発表するらしい。携帯ユーザーが悔しがるような端末を、是非発表してほしい。

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初めて自分のカセットテープレコーダーを買ってもらったのは、確か小学三年生の頃だった。神戸三宮の星電社で買ってもらったように記憶している。松下電器製のもので、当時はまだNationalブランドだったように思う。SONYではなかったのは、父親の松下びいきの影響だろう。

毎日小学校にカセットテープレコーダーを肩から下げて通学していたのを覚えている。主にTV番組の主題歌や、CM放送をコレクションしていた。

どうしてそんなことを思い出したかというと、昨日『はてなブックマーク』の上位にカセットテープのデザインの変遷というページが上がっていたから。

そのページには、昔使っていたカセットテープがずらりと並んでいた。一番上のSONYのテープなど、何とも懐かしい。今でも段ボール箱の中に沢山のテープがしまい込んであるが、昨今のシリコンオーディオ時代、いったいどうしたものかと悩んでいる。

今年の夏、大学書林の『広東語四週間』という書籍のテープをMP3フォーマットに転換して、iPodで聞くことができるようにしたが、大量のテープを転換するには骨が折れる。皆さんはどうしていますか?

子供にせがまれ、急遽『愛・地球博』に行ってきた。お金も無く急な話でもあったので、往復とも夜行バス。だが、駄々をこねたり喧嘩ばかりする子供を持つ親にとっては、行き帰りぐっすり寝てくれるので好都合。

閉幕日前日はさぞ混雑するだろうと覚悟していたが、想定の範囲内の混雑で、多少肩すかしの感。冷凍マンモスーイタリア館ー日立館ー電力館ー東南アジア諸国数館ーロシア館ーイギリス館ーベルギー館等見て回ることができた。たった一日の観覧では大きなことも言えないが、感じたことを一言。

大阪の万博の頃とは違い、海外の文物については、インターネットやTVによって簡単に知り得ることができ、海外の物産についても、ネット上で簡単に手に入る便利な時代になったことから、海外諸国のパビリオンには、さして興味を引かれるものはなかった。

企業のパビリオンにしても、ITを駆使した見せ方というのは、PC上ではさしてめずらしい物ではなくなり、大型のディスプレーも、街角の大型テレビや3D映画館の普及から、驚くほどの物ではなくなった。

35年前の様にそれらのパビリオンに期待するのが間違いで、日本館、中部館、愛知館、名古屋館こそが、主催者のメッセージを強く感じ取ることのできるパビリオンであったのかもしれない。だが、たった一日の中にそれらの観覧を組み込むのは、家族の意見を尊重すると難しい。

確かに愛知県下の小・中学生にとっては、自分たちでも参加したり、何度も訪れ、色々なパビリオンを見ることができ、有意義な体験であっただろう。反面、他の地方からは、昔の万博の様な熱気を感じ取ることができなかったのではないか。入場者の四割がリピーターであったということからもそれがわかる。

会場内の食事が高かったのも少し不満。本番の料理を期待して結構なお金を払っても、味はイマイチというものが多かった。都内の専門店の方がもっと満足度が高いだろう。

次の大型の万国博覧会は2010年に上海で開かれる。テーマは「Better City, Better Life」とのこと。オリンピックや万博の開催を機に、人前で痰を吐いたり、手鼻をかんだり、トイレを汚したり、行列に割り込んだりする彼らのマナーが、先進国並みに向上してくれれば有り難い。

企業や官庁から博覧会に出向していた人たちは、明日からは再びもとの職場に戻る。ボランティアはまた新しいボランティア先を見つけるだろう。連日博覧会に人を運び込んでいたバスの運転手達は、果たして仕事があるのだろうか。パビリオンが閉じた後の跡地は、整備を続けるのに値する入場者を期待することができるのだろうか。

P.S. 私が自分に買ったおみやげは『life.stories dick lee's 30th anniversary concert 2004』というDVD一枚。シンガポール館で買った。

Moblog Photo

みやげもの屋も大混雑。息苦しくなって買い物もせず、飛び出してしまった。

暑い。熱中症になりそうだ。今12時だが、日立館は420分待ちだそうだ。
朝一で整理券をとっておいて正解だった。

ということで『愛・地球博』。走る走る。まるで運動会。

Moblog Photo

7時45分。入場ゲートでも行列。

行列

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Moblog Photo

朝の六時だがバスターミナルには既に長蛇の列。

アメリカに、また大型ハリケーンがやってきた。前回のは Katrina で今回のは Rita。ということは、この間にもL〜Pの頭文字が付く5つのハリケーンが発生していたことになる。

前回 Katrina がルイジアナを襲ったとき、ブッシュ大統領の対応の遅さが批判された。今回 RIta は、お膝元のテキサスを襲うという。

前回の反省を踏まえて、今回は迅速な指示がなされているというが、テキサスだからブッシュは動いたなどという批判が巻き起こったりはしないだろうか。

比例区南関東ブロック35位で当選した杉村太蔵氏。TVで自ら「タナボタ当選です。」とか「早く料亭に行きたい。」とかしゃべり、物議をかもしている。

党本部から、しばらくはTVの前でしゃべるなと釘をさされたらしい。自民党も新人教育が大変だ。

彼のブログでプロフィールを見ると、昨年筑波大学体育専門学部(テニス学科?)を中退し、今年ドイツ証券のインターンになったばかり。まだ社会人としても研修中の身だ。

昨日の初登庁の際にコメントを求められて、「父母から『太蔵らしく一生懸命やってこい。ダメだったら、ダメでいいじゃないか。』と言われました。」とシャーシャーとしゃべっていた。国民としてはダメだったら困るんだが。

議席は、議長に最も近い右側手前の最前列。まるで小学校の先生が、行儀の悪い坊主を一番手前に座らせるのと同じだ。

一体誰が彼を比例区南関東ブロックの候補者に選んだのだろう。まさかそこまで票が伸びるとは思わなかったのだろう。それにしても今度の選挙は××でも議員になれるということを国民に気付かせてくれた。

タイゾー君、『退場君』にならないように。

nanoを手に入れて12日目となるが、気の付いたことを少し書いておく。

充電したり、iTunesと同期させる時には、nanoの底部にUSB2.0のコネクタを刺すのだが、それを外す時には、コネクタの左右を少しつまんでフックを外さなければならない。

ところがヘッドフォンのミニプラグが刺さっていると、コネクタをつまむことができないのだ。よって、コネクタを外すたびに、ヘッドフォンのミニプラグを抜き差しすることになる。

nanonano.JPG

抜き差しを繰り返していると、ジャックがバカになりそうなのでちょっとイヤだな。

もう一つは、ストラップをどうやって付けるかということ。私はソニーのネックストラップ付きのインナーイヤーヘッドフォンを使っているのだが、本体にはストラップの穴なんてないので、今は胸ポケットに本体を入れている。

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本体が軽いので、ヘッドフォンのプラグだけで何とか落ちずにぶら下げることもできるが、いつかジャックがバカになって落っことしそうだ。事実一度突然ボーカルの音だけが消えて、伴奏だけしか聞こえなくなった時があり、チェックしてみると、ヘッドフォンプラグが少し抜けかかっていた。

まもなく純正のネックストラップ付きヘッドフォンが出るようだ。どういう仕組みか知らないが、これだと首からぶら下げても大丈夫なようだ。でもインナーイヤータイプじゃないところが気にかかる。

ダイエー創業者の中内氏が、昨日脳梗塞でなくなった。83歳だった。

私は少年時代を神戸で過ごした為、「スーパーと言えばダイエー、デパートと言えばそごう、電気店と言えば星電社。」と刷り込まれてきた。いずれも一度は日本一となりながら、破綻してしまった企業だ。

小学校3年生位になり、小遣いをもらって友達と初めて三宮の街をうろうろとした時、急に大人になった様な気がしたことを、今でも思い出す。三宮はダイエーの街だった。

そういうこともあって、社会人になって西武流通グループ(当時)と関わるまでは、ダイエーびいきだった。

ダイエーは、新規出店する際には、店舗として必要な面積以上に土地を先行取得し、ダイエーの出店によって街が栄え地価が上昇した後で、店舗の周りの不要な土地を高値で売却し、銀行借入金を返済するという、錬金術を得意としていた。

都銀4行を並行メインとして競わせ、案件毎に調達行を変えることによって、全てを知る単独メイン行を作らないようにしてきたのだ。情報があまりにも少ないと嘆いた金融機関は多かっただろう。

カリスマの引き際、そして後継者の育成は難しいものだということを、つくづく感じた。何はともあれ合掌。

敬老の日は、兵庫県多可郡野間谷村(現在の八千代町)の門脇政夫村長が1947年に提唱した「としよりの日」が始まりである。(Wikipedia参照)

八千代町出身の父が、ことある毎に自慢する。

ちなみに多可郡八千代町は、11月1日に平成の大合併で、多可町八千代区になるとか。町の下に区とは、何とも変な感じだ。

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永田町のプルデンシャルタワーの真上に出た、大きな黄色い満月。

シャッタースピードを速めて、ズームで撮ったのがこれ。

クリックするともっと大きくなる。

満月を見るたび、テレサ・テンの『月亮代表我的心』を、思わず口ずさんでしまう。

月餅

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今日は中秋節ということで、月餅の話。写真はうちのスタッフ宛に上海の会計事務所から贈られてきた月餅をお裾分けしてもらったもの。

あちらでは、取引先同士間でも月餅を贈り合う習慣があるというから、こちらから贈らなかったのは礼を欠いていたかも。

昨今では月餅の包装を高価なものにすることにより、この習慣に便乗する形での贈収賄にまで発展する例が出ているらしい。

ただ上海では、月餅をもらってもうれしくないと思っている消費者が7割強になったとの調査もあった。

月餅の皮の部分にはラードが練り込まれており、餡も甘過ぎたり、サイズが大き過ぎたりすることから敬遠する人も多い。

台湾、香港、シンガポールでは、皮をパイ生地のようなものにしたり、餡の中身を工夫したりして、色々なバラエティーを増やしている。

妻の実家でも親に月餅を贈ることは欠かせないようで、この時期になるとバタバタする。兄弟姉妹の間で、誰が一番立派でおいしい月餅を贈ったかが、比較されるからだ。

月餅の由来については、日本で月餅を大々的に広めた新宿中村屋のこのページが詳しい。

久しぶりにドリアンの入った月餅を食べてみたくなった。現地へ出張中のわしさんに買ってもらおうかな。

日本は今日から三連休だが、韓国や台湾・香港も三連休だ。

韓国は今年は9月18日の十五夜の日が『秋夕(チュソッ)』にあたり、その前後もお休みとなる。日本のお盆とアメリカの感謝祭が合わさった様なもので、親戚達が実家に集まってご先祖様の墓参りをするとともに、今年の秋に採れた作物に感謝する習わしとか。

起源は古く、新羅時代に始まったと伝えられている。一昨日の朝鮮日報にも、祖父母の所へ孫が遊びに行くという漫画が掲載されている。

台湾は毎年『中秋節』がお休みで、香港は毎年『中秋節翌日』がお休みらしいのだが、今年は9月18日の『中秋節』が日曜日にあたるので、台湾は月曜日が振替休日だ。よって、台湾も香港も3連休である。

旧暦の7月、8月、9月が、それぞれ初秋、仲秋、晩秋と呼ばれ、そのど真ん中の8月15日が『中秋』とよばれている。こちらもその年の収穫を祝うとともに、家族達が一同に集い、円満を意味する満月をながめることから始まったという。

この「家族達が集まって」というところだが、最近は都会に住む若者達の中には、帰省する人も減ったのだろう。その代わりに連休を利用して、日本にどっと押し寄せたりする。

この連休、新宿、渋谷、お台場などに行けば、かなりの確率で、ガイドブックを片手にうろうろしている、韓国・台湾・香港人のOLさんやカップルに出会うだろう。

前にロケーションフリーテレビをご紹介したが、あれは専用のモニターが必要だった。今度の製品は、普通のPCをモニターとして使うというものである。

これを日本に置いておけば、海外へ持ち出したノートパソコンで、日本のTV放送を見ることができる。伊藤師匠は最近のPodcastで、「わざわざ海外旅行に行ったOLが、日本のTVを見ますか?海外の人と出会ったり、海外のものを見るでしょう。」とおっしゃっている。もっともなことだ。

もしこれをそう言った短期海外滞在者向けにマーケティングしたら、こけるだろう。それよりも、海外へ単身赴任中のお父さんや、長期海外在住者、そしてこれからどんどん増えるであろう、定年後を海外で過ごそうとしているシニア層に売り込む方が良いのではないか。

香港のバスターさん
が、自家用車の中で日本のTVを受信しておられる。こういった使い方をする人こそが、この製品がターゲットとすべき層だろう。

追伸
1台のベースステーションで、4台のPCを登録できるそうだ。ご利用はあくまで個人的に。

昨年12月にDDIポケット(現WILLCOM)の通称『京ぽん』を盗まれて以来、同社から代替機を借りている。新機種が出たらお返しするとの約束なのだが、マイナーチェンジはあっても、一向に新機種が出ないものだから、ずっとその代替機を使っている。

ところがようやく新機種が出ると言うことで、昨日から一部で『祭り』になっている。今日発売の『DIME』に先行記事が出たらしいのだ。それによると、11月下旬頃に、京セラ、日本無線、三洋の3社プラスアルファから一気に新機種がでるとの話である。

さっそくmixiにそれぞれの機種毎のコミュニティーが作られている。カラーリングでちょっと引いてしまう人がいるかもしれないが、別の色も出るだろう。ようやく代替機をお返しすることができるかもしれない。

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お皿の上に載っているのは、メロンではなく『ミモレット』だ。衆議員選挙投票日の夜、私はこれをつまみにワインを飲みながら、開票速報を見守っていた。

いささか古い話になるが、8月6日に森さんが首相官邸から出てきた時、手には缶ビールとお茶の缶を握りしめて、「ひからびたチーズしか出なかった。」と言って憤っていた。

私は何か彼の行動に作為的な物を感じると共に、「首相は本気だぞ」というメッセージを発した様に感じたのだが、今に至る小泉劇場は、あの夜が一つの幕開けだったように思う。

ところで、お店では小分けにされた状態で売られていることの多いミモレットだが、切り分ける前の大きさは、直径20cm、高さ15cm程度の大きさらしい。

そしてチーズの表面には、何と粉ダニというい微生物が巣食っているらしい。粉ダニの様子をご覧になりたい方はこちら。粉ダニが巣食ってチーズに穴をあけたりすることから、チーズの熟成が助けられるらしい。

小泉政権も党内外に抵抗勢力があってこそ、求心力が高まっていたのだ。ダニ(抵抗勢力)を全てこそぎ落とした後、果たして従来同様の求心力を保つことができるのだろうか。

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miniやshuffleとは異なり、iPod nanoは小さいながらもジャケット写真を表示できる。イイね!ジャケット写真をどんどんiTunesに登録したくなる。

4GBの容量一杯に音楽を詰め込むことができるのかと思ったら、3.6GB位しか転送できなかった。後でわかったのだが、PowerMacのiPhotoに保存してある全ての写真が、サムネイルサイズでiPod nanoに転送されていたのだ。

それはそれで楽しいのだが、まずい写真はiPhotoに残しておかないようにしなければ。

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stars思わず買ってしまった!

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大方の期待通り、自民党が圧勝した。ホリエモンも大勝したと言える、なぜなら彼は今回の選挙で政府・自民党にpricelessな貸しを作った。

ニッポン放送買収劇で政財界に与えた悪役のイメージを、完璧に帳消しにしたと言えるだろう。これからのライブドア社のビジネス展開にとって、政財界の協力が得られると言うことは、何物にもまして大きいことだ。株は「買い」でしょう。

こういうページは有り難い。各政党幹部が行った街頭演説をノーカットで映像配信してくれる。最後まで聞き入ってしまった。

まだ比例区の投票先を決めかねている人は、一度ご覧下さい。さて、そろそろ投票に行こう。

nano1.JPG小さい!

nano2.JPG薄い!

nano3.JPG軽い!

<追伸>
アメリカで放送されているCMもどうぞ。

我らがミラーマンこと植草元教授の今のお仕事。戦え僕らの、ミラーマーン!

Appleが7日に新製品を発表した。iPod nanoだ。一緒にMotorolaからiTunes携帯『ROKR』も発売すると発表したのだが、こちらは保存できる曲数が100曲と少ないし、日本では携帯として使うことはできないので、余り盛り上がりそうにない。

iPod nanoは4GBまたは2GBの容量を持ち、iPod miniの後継機種として発売される。記憶媒体がハードディスクからシリコンメモリーに変った為、厚みがたったの6.9mmしかなく、下位機種のiPod shuffle (8.5mm)よりも薄いのだ。

iPod shuffleにはディスプレーがないことから購入を躊躇した人もいるだろう。このnanoは、1.5インチながらカラー液晶を備えているので、CDアルバムのジャケットイメージも表示できる。

昨年暮れにiPod miniを盗まれて以来、色々なメーカーのものを試してみたが、やはりiPodシリーズが欲しくなった。音楽を聴くだけなら他のメーカーのものでも何とかなりそうだが、自宅のPCのiTunesと同期させたり、最近流行り始めたPodcastを通勤途中で聞くには、やはりiPodシリーズにかなうものはない。

このページを見ていたら、思わずポチッとクリックしてしまった。「また自分の物ばかり買って!」と家族達に責められそうだ。

月曜日の深夜1時頃にたまたまテレビをつけると、フジテレビ系列で『音箱登竜門』という番組をやっていた。インディーズ系のバンドの連中が次々と登場するのだが、どのバンドも思いっきりハジケていて面白かった。

漁港』とか千葉の『JAGUAR』とか『巨乳まんだら王国』とかいうバンドが出演していた。この手のバンドについて私は全く無知なのだが、16年前に一世を風靡した『イカすバンド天国(通称イカ天)』の様な番組だと言えば解りやすいかもしれない。

更に彼らのパワフルでお下劣な演奏を見ていて、ふと頭に浮かんだのが、1978年にサザンオールスターズが、TBSの『ザ・ベストテン』にタンクトップと短パン姿で生出演し、『勝手にシンドバッド』という曲を演奏するのを見た時のこと。当時私は神戸の予備校生だった。

てっきり色物バンドかと思っていたら、あれよあれよと日本を代表するバンドになってしまった。ということは、もしかするとこういうインディーズのバンドの中にもそういうバンドが含まれているのかも。

先月21日にNHKのBSで『ROCK IN JAPAN FES.2005』に出演していたサザンのライブ録画を見た。『BOHBO No.5』でダンサーのお姉ちゃんの倒立T字開脚にかぶりつく桑田さんの顔を見ていたら、明るいお下劣に関しては、30年経ってもやっぱり彼の右に出る者はいないと思った。