クリミア

ロシアによるウクライナ・クリミヤ半島への軍事介入が本格化しそうだ。

大学受験の時は世界史と地理Bを選択したので、クリミヤと聞くと色んな単語が頭に浮かぶが、前後関係はぐちゃぐちゃだ。

ギリシャ人の植民地や、ローマ帝国の属国になった後、ゴート族(3世紀)、フン族(4世紀)、キエフ大公国(8世紀)、キプチャク(11世紀)と異民族の侵入・占領の場となった。

13世紀、モンゴル帝国によるロシア東欧遠征でキプチャク・ハン国が成立した後、15世紀にはタタール人によるクリミア・ハン国が成立。

その後オスマントルコの属国となったが、オスマン帝国が露土戦争でロシアに敗れると、1783年にロシア領に編入。

1853〜56年にはクリミアを主戦場としてロシアとイギリス・フランス・サルデーニャ・オスマントルコの連合国の間でいわゆる『クリミア戦争』が勃発。

1941年には、旧ソ連とドイツとの間で、セヴァストポリの戦いが行われ旧ソ連が勝利。

1944年に旧ソ連がナチス・ドイツとの協力を理由にクリミアからタタール人を追放。

1945年には、クリミア半島の保養地ヤルタで第二次世界大戦の戦後処理を話し合う『ヤルタ会談』が行われた。

1954年、クリミアは同じソ連邦内のウクライナへ帰属替えされたが、人口の半分以上をロシア系が占め、ソ連崩壊後も軍港セヴァストポリに2017年までロシア黒海艦隊が駐留することになっている。

クリミア半島の内、セヴァストポリ以外の部分を占めるクリミア自治共和国は、1992年のソ連崩壊時にウクライナからの独立を宣言。ロシアも独立を支持したが、国際社会の反発で支援を取りやめた。

ということで、クリミヤ(これは英語名で、ウクライナ語やロシア語では『クリム』というらしい。)は、2千年以上に渡り係争の地となっていたわけであり、欧米諸国が考えるほど簡単には収まりそうにない。

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