兄弟

一度はトップに登り詰めたにもかかわらず、自分がその任にふさわしくないと悟るや、あっさりと引退した兄。かたや父の教えをかたくなに守り、徹底的に型にこだわった弟。

今日の話題は、亡き父の遺した年寄株の行方をめぐり大騒動の渦中にある若貴の話ではない。西武鉄道事件に揺れる堤兄弟の話である。

日経ビジネスの2005年5月30日号に、兄清二氏との特別対談が8ページにわたって掲載されていた。弟義明氏のことや、父康次郎氏について、珍しく率直な思いが語られている。詳しくは同誌を読んでいただきたいのだが、印象に残った部分を自分のメモ代わりに抜き出してみたい。

事業の公共性を考えて、コクドとは別に鉄道を優先的に独立させて再建した方がいいと思いますが、それは単なる解説です。私自身がそんな仕事を引き受けるつもりは毛頭ない。(中略)二度とビジネスには関与しないと考えたのです。

私は最初から父の遺産は受けないと決めた人間です。

協力した結果として、もし果実が出てきた場合には、その果実は受け取りません。

旧日本興業銀行と旧第一勧業銀行が合併したら、結果として圧倒的メーンになってしまった。「あれ、なぜこんなに責任を負わなきゃならないんだ。」という感じだったのではないですか。(中略)合併して3年もたつのだから気がついてもいいんじゃないかと思いますよ。

借り手の経営者にはあまり勉強しない人が多い。(中略)本を読むのが嫌いだから経営者になったという人もいますしね。

私財を出す前に、一応、僕は杉田(元DKB頭取)さんに、この解決は筋が通っていないと主張したんです。「私があなたに、西洋環境開発で融資を頼みに来たことが一度でもありましたか。その事実をはっきりさせましょう」と言いました。すると、杉田さんは「それはないけれども、あなたが後ろにいるから私は貸したんだ」というわけです。

旧ソビエトが崩壊した時に、情報の開示を意味するグラスノスチと、反対意見を認めるペレストロイカという2つの言葉がキーワードになりましたね。この2つは西武事件の場合にもやはりキーワードのように見えます。

ライブドア問題では、少なくとも株式の取得方法が合法的だという前提が成り立てば、後は堀江君の方が筋は通っている。

より巨視的に言えば、つい十数年前までは最大のチェック機能は、社会主義者だったんです。

先代の堤康次郎の時代にはオーナーとしての彼の強烈な理想があった。(中略)ところが、義明時代になると理想は消えてしまい、支配の意思だけが残ってしまった。

康次郎は、国家総動員法が大嫌いだった。「あれは赤の思想だ」って。(中略)その康次郎も年を取ると思考が単純化していくんだな。先輩たちを見ていても、単純になり始めると危ない。

康次郎は昔は革新派だったのだから、僕は彼の思想的系譜を継いだと言えるかもしれない。だからこそ不安だったのでしょう。

今、銀行は義明君を使って債権を確保しようと全力を挙げています。義明君は道具としてはまだ役に立つと思っているんじゃないかな。

僕は(猶二君を)助けますよ、おじいさんとして(笑)。

辻井喬が社会に無関心だということではありませんよ。(中略)暗黒だった企業グループが、太陽光線の中に置かれて。やはり表現していかなければならないでしょうね。

もっと抜き出したい箇所もあるのだが、これ以上やっていると著作権に触れそうなので留めておく。是非とも日経ビジネス本誌を読んで頂ければと思う。顔の色艶も良く頭脳も明晰で、とても78歳のお歳になられた様には思えない。歳を取れば取る程、彼の理想主義者、革新派としての信念が、かえって強くなっている様に感じた。

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