「桂米朝集成〈第1巻〉上方落語(1)」

桂米朝集成〈第1巻〉上方落語(1)
桂 米朝 豊田 善敬 戸田 学
岩波書店 2004-11

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「ミイラ採りがミイラになる」という諺があるが、てっきり海外の諺かと思っていたら、「本朝廿四孝」という浄瑠璃の中に出てくる言葉らしい。
先日「桂米朝集成〈第1巻〉」を読んだ。上方で名人と言われる芸人には破滅型が多いように思うのだが、その中で、(一見)真面目そうに見えて、誰からも尊敬の対象となる方と言えば、この米朝師匠をおいて他にいないだろう。実は米朝師匠は私の高校の大先輩でもある。旧制中学卒業後、漢学で有名であった東京の大東文化学院に進学し、演芸研究家であった正岡容(いるる)氏の門下生となって、落語を研究していたのだが、戦争にとられて姫路に帰った。戦後神戸の雑貨卸商で働いていたが、当時絶滅の危機に瀕していた上方落語を再興するのは、あなたしかいないと正岡氏に言われて、落語研究家から転じて、自ら四代目桂米団治に入門したという、落語家としては変わった経歴の持ち主だ。まさにミイラ採りがミイラになったということだ。
この本は新たに師匠が書き下ろした物ではなくて、今まで活字とならなかった短い文章を集めた本である。
読んでいて、「ハハァ」と感銘を受けた一節をご紹介したい。

「例えば、人差し指を出して物をさし示す場合でも、ちょっとした要領があるわけで、(中略)「火鉢」といってから指を出せばお客には、その示された場所に火鉢が見えるわけです。「その財布……」という台詞がお客の耳に届いた時に、すっと前を指せば、そこに財布が見えるわけで、何もいわずにただ、漠然と指をつき出してから「その財布を」といっても、その指し示す動作による効果はうすくなります。」

なるほど、と思うことがこの本には沢山書かれている。もちろん軽い小咄なども収められている。

村芝居をみて帰った娘に、「面白かったか」ときけば、
「面白かったけど、私、みる場所を七へんも変えたんやわ」
「また、村の若い衆が悪戯をしたんやろ」
「はあ、やっと七へん目に」   ♪ドン、ドン♪

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